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小江戸川越御朱印巡り

喜多院

喜多院(きたいん)は、天長7年(830年)、淳和天皇の命によって「円仁(えんにん)」という唐に留学していたお坊さんが創建したと伝わっています。
山号は「星野山(せいやさん)」で、宗派は「天台宗」です。別名、川越大師とも呼ばれる大きなお寺です。当時は無量寿寺という名前でした。阿弥陀如来を本尊として、不動明王・毘沙門天を脇侍として祀りました。

慶長16年(1611年)、第27世住職の「天海僧正」は「徳川家康」が川越を訪れた際に親交を深め、家康から厚い庇護を受け寺勢をふるいました。天海が住職になり、寺の名前が喜多院に変わります。

寛永15年(1638年)の川越大火によって現存の山門を除き全て焼失しましたが、徳川3代将軍「徳川家光」によって再建されました。
再建時には江戸城紅葉山の別殿を移築した為、江戸城の「家光誕生の間」や「春日局化粧の間」が喜多院の「書院」「客殿」となり重要文化財に指定されています。
その他の建築物「山門」「庫裏」「鐘楼門」「慈眼堂(じげんどう)」も重要文化財に指定されています。
現在お寺に残る古い建物や、かつて喜多院の境内にあった東照宮や日枝神社は、この時に再建されたものです。東照宮と日枝神社は明治に入ってから、神仏分離政策によって、寺の管理からは外れました。

境内にある「日本三大羅漢」のひとつ「五百羅漢(ごひゃくらかん)」は天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の約50年にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座しています。

喜多院の見どころ

喜多院の見どころ・おすすめスポットは以下の3点です。

喜多院参拝

山門

山門写真
天海僧正の像
天海僧正の像

喜多院の山門は、次の目的地の日枝神社側にあります。敷地の東側に位置します。
山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門(しきゃくもん)の形式で、屋根は切妻造り、本瓦葺(ほんかわらぶき)。もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたといいます。
棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かります。
寛永15年(1639)の川越大火では焼失を免れました。現在喜多院に残る建造物の中で最も古いものです。

昭和30年度に部分修理が行われ、現在に至ります。山門横には天海僧正の像があります。

喜多院多宝塔

多宝塔写真
喜多院手水舎
喜多院の手水舎

「多宝塔(たほうとう)」は県指定有形文化財で、寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されました。
その後、老朽化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築されました。ただし、移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元しました。
総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根の相輪をのせています。江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れています。朱色が美しいです。
多宝塔を拝観した後は、慈恵堂に参拝する前に手水舎で心身を清めましょう。

慈恵堂

慈恵道写真

「慈恵堂」は県指定有形文化財となっており、比叡山延暦寺第18代座主である慈恵大師良源と不動明王を祀る喜多院の本堂です。大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼びます。
現在、喜多院の本堂として機能
し、慈恵堂の中央に慈恵大師が祀られ、左右に不動明王が祀られていて、毎日不動護摩供を厳修しています。
638年(寛永15年)の川越大火で焼失しましたが、翌年には再建され、近世初期の天台宗本堂の遺構として貴重なものになりました。
昭和46年度から4年間にわたり解体修理が行われました。天井に描かれた数々の家紋は、その際に寄進をされた壇信徒のものです。
堂内の銅鐘は、1300年(正安2年)に鋳造されたもので重要文化財に指定されています。
本堂で参拝を行ってから、境内さんぽを始めましょう。

境内さんぽ

鐘楼門

鐘楼門写真 鐘楼門見どころ
鐘楼門裏側
鐘楼門の背面
鐘楼門見どころ

鐘楼門(しょうろうもん)は、現在では喜多院境内の東はじ近くにありますが、江戸時代の頃の喜多院は現在よりもかなり広く、門は境内のちょうど中心付近にあり、慈眼堂への参道の門だったと言われています。
建てられたのは、江戸時代中期の1702年ごろと考えられています。
境内にある「鐘楼門」は、重要文化財に指定されています。

2階建ての朱色の建物でとても素晴らしい彫刻が見ごたえがあります。
2階建ての階上に梵鐘(ぼんしょう)を吊るすこの鐘楼門は、入母屋造りで本瓦葺。
1階には袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いが付き、2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻があります。階上の銅鐘は元禄15年(1702)の銘があります。(国認定重要美術品)
建立年代ははっきりとしていませんが、寛永10年(1633)に東照宮の門として鐘楼門が建立されたことが「星野山御建立記」の記録で見ることができます。その頃、東照宮は今の慈眼堂の場所にあり、鐘楼門再建の記録もないことから寛永15年(1638)の川越大火で焼失を免れた可能性もあるといわれています。

慈眼堂

慈眼堂写真

慈眼堂(じげんどう)は、江戸時代前期に徳川幕府と縁の深かった住職、天海の木像が安置されているお堂です。徳川家光の命により、慈眼大師天海を祀る為に造られました。
天海僧正は、寛永20年(1643)10月2日寛永寺において入寂されました。正保2年(1645)に 徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。

慈眼堂正面
正面から撮影
慈眼堂横
横から撮影

慈眼堂は、比較的小さな御堂で、屋根は中央から四方の隅へ流れる宝行(ほうぎょう)造り、本瓦葺(ほんがわらぶき)。小高い岡の上にあり、この丘は7世紀初頭の古墳を利用しています。
昭和30年度に部分修理が行われています。重要文化財に指定されています。鐘楼門から真っ直ぐの位置に、階段があります。

苦抜き地蔵
苦ぬき地蔵尊

慈眼堂の階段横には苦ぬき地蔵尊があります。とげ抜きならぬ、苦ぬき地蔵です。
苦ぬき地蔵尊は「釘抜き地蔵尊」とも呼ばれています。その名の通り「すべての苦しみを抜き取ってくれる。」として多くの方々に親しまれています。
いつも色とりどりの旗で囲まれ、赤いよだれかけをつけています。
周りを取り囲む色とりどりの地蔵旗は、志納料5,000円とともに寺務所で奉納を申し受け付けしています。
昭和32年(1957)に本間さんという方がお堂の改装を記念して奉納して以来、かれこれ50年以上、喜多院参拝者を見守る苦ぬき地蔵さん。たくさんの旗に囲まれているのが多くの人に親しまれている証拠ですね。

庫裡

庫裡写真

庫裡・寺務所前の桜が美しく咲き誇っていました。
「庫裡」は重要文化財に指定されており、庫裡の入り口が「客殿」「書院」への拝観入り口となっています。前方には紅葉山庭園が広がっており、四季折々の景色が楽しめます。
拝観料は大人400円、小人(小・中学生)200円となっています。五百羅漢を拝観希望の方は、庫裡で事前受付が必要になります。
庫裏は客殿、書院と同様、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築
したもので、渡り廊下で客殿と書院につながっていて、現在拝観の方々の入口となっています。桁行(けたゆき)10間・梁間(はりま)4間の母屋、桁行4間・梁間3間の食堂、それに玄関と広間が付いていて、母屋は一端が入母屋造、他の端は寄棟造になっていて、食堂は一端が寄棟造、他の端は母屋につながっています。すべてとち葺形銅板葺で、母屋には一部に中2階があります。

庫裡入口2 庫裡入口3
書院

客殿に進むと、立派な内装や襖(ふすま)絵などを見学できます。拝観をオススメします。
ここから先のエリアは建物内写真撮影禁止の為、お気をつけください。
客殿は、書院、庫裏とあわせ江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。
すぐ隣にある日本三大東照宮のひとつ仙波東照宮の狛犬も江戸城から移設されました。それぞれ重要文化財に指定されています。

裄行(けたゆき)8間、梁間(はりま)5間の入母屋作りで柿葺(こけらぶき)、12畳半2室、17畳半2室、10畳2室があります。12畳半のうち一室が上段の間で、床と違い棚が設けられ、その襖ふすま)と壁面には墨絵の山水が描かれています。また、天井には彩色による81枚の花模様があります。湯殿と厠(便所)も設けられています。この上段の間は、この建物が江戸城にあった頃、3代将軍徳川家光公がここで生まれたということから、「徳川家光公 誕生の間」と呼ばれています。中央の17畳半の一室には仏間が設けられ、仏事を営めるように設営されています。仏間正面の壁には、豪華な鳳凰と桐の壁画があります。
客殿につながる書院は、裄行(けたゆき)6間、梁間(はりま)5間の寄棟作り、柿葺(こけらぶき)です。客殿、庫裏と同じく江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。8畳2室、12畳2室があり、一部に中2階があります。この8畳間の2室には、それぞれの床の間が用意され、片方の部屋には脇床も設けられています。これらの部屋は、この建物が江戸城にあった頃、徳川家光公の乳母として知られる春日局が使用していた部屋で、「春日局化粧の間」と呼ばれています。

五百羅漢

五百羅漢写真3

川越の観光名所の中でも、人気の高い喜多院の五百羅漢。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されました。
喜多院の五百羅漢は日本3大羅漢に数えられています。十大弟子、十六羅漢、大仏、釈迦如来など、全部で538体あると言われています。とても人間的な羅漢像で、笑ったり泣いたり、怒ったり内緒話をしたり、とても表情豊かで見飽きることがありません。持っているものも仏具から日用品まで様々です。

おみやげ屋さん 五百羅漢入口
羅漢像

五百羅漢は一度庫裡から出て、境内おみやげ品店で拝観券を渡して入ります。拝観券を渡すと石壁に囲まれた五百羅漢の場所へ進むことができます。入ると様々な表情を浮かべた羅漢像に出会うことができます。

羅漢とは尊敬や施しを受けるのにふさわしい聖者のことを指します。
一体一体姿や表情の異なる羅漢像が並んでおり、総数は538体になります。

釈迦如来像
釈迦如来像と菩薩像

怒ったり笑ったり悩んだり。色々な羅漢像を見ているとあっという間に時間が過ぎていきます。観察しだしたらいつまで見ていても飽きないくらい、変化に富んでいます。

中央の高座には釈迦如来、その両端には脇侍の文殊・普腎の両菩薩がおられます。
また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています。

七福神大黒天

大黒堂
大黒堂内

大黒堂の中に小江戸川越七福神の三番目札所として「大黒天」が祀られています。本堂向かって右横にあります。七福神めぐりの赤いのぼりが目印です。
大黒天は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神です。平安以後食を司る台所の神と崇められました。また、日本の神大国主命を大国と混同させ、命の御神徳を合わせ、糧食財宝が授かる神として信仰を得ました。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られます。水琴窟は庫裡内の寺務所入り口右横にあります。

喜多院の御朱印

寺務所 寺務所拡大

川越大師喜多院の御朱印は、境内中央の慈恵堂の堂内に設けられた授与所で頂くことができます。
川越大師喜多院の御朱印には、紙面の中央に厄除の文字が書かれ、これだけでもご利益が期待できそうです。
喜多院は小江戸川越七福神巡りの大黒天の御朱印も授与できます。御朱印の初穂料は300円、七福神御朱印は200円です。
大黒天の御朱印は庫裡の拝観受付でいただくことができます。

喜多院の御朱印
喜多院の御朱印
喜多院の大黒天御朱印
大黒天の御朱印
川越大師喜多院(かわごえだいしきたいん)
住所 埼玉県川越市小仙波町1ー20−1
電話 049−222−0859
休日 112月25日~1月8日、2月2日~4日
4月2日~6日、4月下旬・宝物特別展開催日
の前後日、8月16日
その他、院内行事のある日は拝観中止有り。
拝観料 客殿・書院・庫裡・慈恵堂(本堂)・五百羅漢
大人400円 小人(小・中学生)200円
団体(20名以上) 大人350円
小人(小・中学生)150円
参拝時間 境内参拝自由。御朱印は9:00〜17:00
駐車場 有料駐車場133台有
アクセス 「川越駅」から1700m。徒歩約22分。
「本川越駅」から850m。徒歩約10分。