日枝神社というと東京赤坂にある神社と思い浮かべる人も多いと思いますが、本社は川越にあるこちらの日枝神社になります。川越の日枝神社は、文化的に重要な建造物として国指定重要文化財として指定されるほど歴史的な神社なのです。日枝神社は喜多院と同じ時期に、寺の鎮守社として創建されたと言われているので、平安時代の初めごろからある、という説もあります。
日枝神社本殿は、喜多院山門の前方にあります。慈覚大師円仁が無量寿寺(現在の中院・喜多院)を再興させる際に、近江国(滋賀県大津市)の日吉大社を勧請したことに始まったといわれています。山王一実神道の関係から喜多院の草創時代から境内に祀られていました。元は日枝神社のある場所は喜多院の境内でしたが、明治に入ってから、国の政策で寺とは別の管理になりました。
現在の赤坂日枝神社は、文明十年(1478)に太田道灌が江戸城を築くに際に、この川越日枝神社を分祀し、後に東京都千代田区永田町に移したものです。
日枝神社の御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大己貴命(おおなむちのみこと)です。大山咋神は、山の地主神であることから、農耕(治水)を司る神とされています。そのため、産業繁栄・商売繁盛・厄除け・縁結びなどのご利益があります。
大己貴命は縁結びの神として名高いですが、他にも子授け・夫婦和合・病気平癒などのご利益があります。
日枝神社の見どころ・おすすめスポットは以下の3点です。
日枝神社は喜多院の鎮守社で、もともとは喜多院の境内にあったのですが、現在は喜多院山門の道路を隔てた反対側にあります。この道路は大正期に古墳を開削してできたもので、以前は古墳の上には多宝塔(現在は喜多院境内に移築)がありました。
拝殿は老朽化が進行したため、平成16年に再建(新築)しました。新築された拝殿は桁行3間、梁行2間の規模で、屋根は入母屋造、柿葺型銅板葺です。
新築された拝殿の裏手には本殿がありますが、囲いがあって見ることは出来なくなっています。
鳥居の左手前の道路に面した場所に手水舎があります。鳥居をくぐり参道を進むと、拝殿の右側に「底なしの穴」、左側に「仙波日枝神社古墳」があります。
日枝神社は鳥居の外に手水舎が設置されているので、鳥居をくぐる前に手水舎で心身を清め、参拝を行いましょう。
日枝神社は、参道、手水舎、拝殿、本殿とシンプルなロケーションの神社です。本殿の建立年代について、色々な説がありはっきりとした史料は無いそうです。
構造の主要部分は近世初頭の技法が用いられながら、装飾の一部には室町時代末期頃の様式がみられます。
慶長17年(1612)年頃に再興された喜多院と同時に造営された説もありますが、それ以前に地方の工匠によって造られた可能性もあるといわれています。
本殿は、三間社流れ造り、銅版葺、朱漆塗り室町末期から江戸初期の朱塗りの華やかな様式をよく残しています。現在は老朽化のために新拝殿が再建されました。神輿形厨子に安置される僧形の木像は、大山咋神を表しています。
拝殿の右側に、石柱に囲まれた不思議な場所があります。
むかし、日枝神社の境内に、いろいろなものをすてる穴があったそうです。
これは、「底なしの穴」と呼ばれています。現在は、すっかり塞がれていますが、龍池弁財天社のある双子池に繋がっていたらしいです。昔は、底がないほど深い穴だったそうです。
「底なしの穴の伝説」として、喜多院七不思議のひとつになっています。
むかし、日枝神社には覗き込んでも底が見えないほど深い穴がありました。
近くに住む人が穴に物を投げ入れてみましたが、ごみやお札を入れてもすぐになくなってしまう。硬いものを入れても、水に落ちる音や底にぶつかる音もしない。落ちた物が見えたりもせず、一夜明けると、すっかりなくなってしまうということで「底無掃溜」とも呼ばれていました。投げ入れた物はどこに行ったのか不思議に思っていました。
しかしその後、500メートルも離れている「龍池弁財天(たついけべんざいてん)の双子池」に投げ入れた物が浮かび上がり、「なんて不思議な穴なんだ」と驚いたそうです。
現在では穴は埋められて囲いがしてありますが、小さな石碑と碑文の拓本が添えられていて、七不思議のミステリアスな雰囲気を感じることができます。深夜に行ったら怖そうです...。
龍池弁財天(たついけべんざいてん)の双子池とつながっていたかもしれないので、もしかしたら龍神様の通り道になっていたのかもしれません。
拝殿の左側には、石碑があります。拝殿の脇にある石碑が立っている場所が日枝神社古墳です。
喜多院側から見ると、道路に面した方向に小高い丘があり、墳丘の一部が残されています。
そこには「仙波日枝神社古墳」という看板が建てられています。古墳の丘の頂上には、御神木の跡があります。樹齢1,000年の巨大古代杉があったのですが、昭和12年に折れてしまったそうで、現在は御神木の一部が残されています。
日枝神社古墳は、前方後円墳ですが、後方部分は大正13年の県道工事のため、掘削されて道路になりました。現在は前方部分が残るのみとなっています。そして、前方の一部が仙波日枝神社になっています。
この日枝神社古墳、別名を「多宝塔古墳」と言います。・・・なぜ多宝塔なのか?
喜多院の多宝塔、元々は喜多院山門前にある「日枝神社」と「白山神社」の間にあったこの「日枝神社古墳」の上に建てられていたそうです。
それを明治45年の道路新設のために移設されました。県道工事の前は、喜多院の多宝塔が建っていた場所になります。
古墳では、土器や勾玉、埴輪などが見つかっています。
一見、ただの土の盛上がった小高い丘。されど様々な歴史がある土の盛り上がった丘。
誰よりも昔からここにあったのに、いつの間にか建物を乗っけられ、削られ、壊され、今では誰の目にも留まらない「波乱万丈の人生を送った日枝神社古墳」。歴史を知れば、ただの丘には見えないかもしれません。
日枝神社の御朱印は、社殿のお賽銭箱の横に置かれています。
お賽銭箱の横に、書置きの御朱印が入った缶が置いてあるので、初穂料の300円は、お賽銭口に入れます。
日枝神社には神職が常駐していないため、参拝後は川越八幡宮の社務所にて日付等を入れてもらえます。

